SPECIAL 先輩社員座談会

最前線での経験を活かし、現在は、別の部門で活躍する3人の先輩社員から、
自身の歩みやリアルな思いを聞きました。

  • 出川 智久 出川 智久 企画・開発部
    2009年入社
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  • 大谷 修平 大谷 修平 総務部
    2010年入社
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  • 今福 翔太 今福 翔太 営業部
    2009年入社
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入社前、東京モノレールでどんな仕事がしたいと考えていましたか?

私が鉄道に興味をもったのは、父親が電車の運転士だったことが大きな理由です。小さい頃から父親が運転する電車に母親と一緒に乗ったりしていたこともあり、当時から鉄道は身近な存在だったんですよね。だから就職活動をする際も自然と鉄道業界を中心に選んでいました。そのなかで当社を選ぶ決め手となったのは、羽田空港アクセスとして国内外に繋がる路線であったこと。鉄道の仕事を通して、多くのお客さまの役に立ちたいと考えていました。

私は大学で機械工学を専攻していましたが、アルバイトを通じて仲間と協力しながら働く楽しみを知ったことや、旅行好きで行く先々のさまざまな人たちと触れ合うことが好きだったので、働く上でも多くの人と関われる仕事に就きたいと思っていました。
また、小さな頃は乗り物が好きだったこともあって、「旅」「人」のキーワードを併せもつ東京モノレールが当てはまり、羽田空港や沿線企業と連携した幅広い仕事にチャレンジしたいと思いました。

私は地元が九州なので、就職活動で東京に来るたびに東京モノレールをよく利用していました。その中で、羽田空港と都心を結ぶ交通機関としての存在意義の大きさを感じていました。
また、私は子供の頃、将来鉄道の運転士になりたいと思っていたこともあり、就職活動をするときにも鉄道やバスなどの公共交通機関に関する仕事に就きたいと考えていました。東京モノレールは眺めもいいし、アップダウンや急カーブもあるので、ここを運転するのは面白そうだなんてことも考えていました。でも、大学で土木を専攻していたこともあって、こうした魅力ある路線を自分の専攻を活かした上で支えていきたいという思いが高まり、線路のメンテナンス部門である土木職を志望しました。

座談会のイメージ

入社当時の仕事や研修のことを教えてください。

入社してすぐの研修では、会社の理念や歴史、ビジネスマナーなどを学びましたね。その後、それぞれの部署に配属になり、私たちは駅で実務的な研修がありましたが、当時は駅名すら知らなかったので、お客さまへの乗り換え案内に苦戦したのを覚えています。業務の合間をみて路線図を必死に覚えたりと…。少し大変でしたが、あの時期を乗り越えたからこそ、今の自分がいると思っています。

私も、大学で土木工学を専攻していたとはいえ、鉄道の技術に関する専門知識なんてほとんど持っていなかったですし、ましてや、モノレールという固有の技術を持った現場では最初の頃は覚えることも多くとても大変でした。何もわからないところから、先輩の仕事に必死についていき、一つひとつ出来ることが増えていったのを今でも覚えています。技術系の職種は車両・電気・土木全て、業務に必要な資格が細かく決まっていたりしますが、そうした資格も会社のサポートで取得できるのでとても助かっています。

2年目以降も、結構色々な研修がありますよね。

そうですね。最近では、国際線のお客さまに対応するための外国語研修もご案内会話だけではなく、おもてなしに特化したより実務的な内容だったり、英語以外の語学を学ぶ回もあったりしますし。私が最近受けた研修では、「職場の問題解決に向けて」という中堅社員に求められるスキルを学びました。

社内や社外、応募型など、各研修が充実している事は当社の魅力のひとつですよね。入社してからも十分勉強していけるから入社前から特別必要な知識や資格はありません。それよりも、学生のうちに身につけておいて欲しいのはコミュニケーション力だと思いますね。

やっぱり、まずはスキルよりも、当社のサービスを利用してくださるお客さまに対して、もっと良いサービスを提供したいという思いと、それを行動に移していくことが重要だと思いますよ。

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現場にいた頃、特に印象に残っているエピソードを教えてください。

駅現場を8年経験してさまざまな駅で勤務をしてきましたが、中でも印象に残っているのは、大谷さんと今の駅社員の新入社員教育体系を作ったことですね。

当時、二人とも浜松町駅に配属されていて、通常業務に加えて新入社員育成担当のリーダーとしてチームをまとめることを任されたんですよね。

駅社員は駅というお客さまサービスの最前線の仕事ですし、特に当社は羽田空港アクセスという社会における重要な役目を担っています。そのため、社員一人ひとりにも日本の玄関口であるという意識が必要だと思っています。そんな中、私達が入社した当時は、駅務機器等が更新されているのにも関わらず、資料の更新はされていない。指導方法も口伝が基本となりマニュアル化されていないという問題点がありました。そのためか、社員のサービスレベルや取り扱い方にもバラつきがあって、きちんとした業務マニュアルが必要ではないか、という問題提起から新入社員教育体系の見直しが始まりました。

指導方法の見える化を目指して、教育チームを結成しました。「まずは、やってみよう」ということで、少しずつノウハウを書き溜めていったけれど、1年目は情報の優先度の判断ができなくて。初めて作ったマニュアルはとても分厚くて、わかりにくかったと思います。

そこから見直しを繰り返してかなりスリム化できたのは、作り始めて3年後ぐらいでした。マニュアルが分かり易くなると、周りの人が社員教育についてどんどん意見を言ってくれるようになって。

何もわからず数人からスタートした教育チームが、自分たちのマニュアルで学んだ後輩たちの力で、どんどん厚みを増していったことは本当に嬉しかったです。その後、私たちが始めた仕事の標準化は、教育チーム以外からも注目されるようになりました。私たちが異動した今でも、後輩たちが引き継いでマニュアルを更新し続けてくれています。

受け継いだものをどんどん発展させている後輩の姿は、本当に頼もしいよね。

二人ともすごいね。私が技術系の現場で思い出されるのは、東日本大震災のときのこと。地震が発生したとき、夜勤明けだったので自宅で寝ていたんですが、飛び起きてすぐに自転車で現場に駆け付けて、夜中に全線くまなく点検して。「安全に、そして少しでも早くお客さまのためにモノレールを動かすぞ」と気持ちをひとつにする先輩たちや仲間の姿がとても格好良かったのを覚えています。だからこそ、次の日の朝一番のモノレールに、空港から身動きが取れずに一夜を過ごしていたお客さまがたくさん乗っているのを見た瞬間、ちょっと感動してしまいました。

私も、その日はちょうど浜松町駅の乗り換え口で勤務をしていましたが、本当にすごい揺れで。お客さまのサポートをしなくてはと思うものの、かなり混乱した状況でした。でも翌日、首都圏の鉄道網が混乱している中で、東京モノレールが通常どおり運行していたのには、私も本当に驚きました。こういうところでチーム力が発揮されているなって思いますよね。

決して大きな会社ではないけれど、その分、雪や悪天候といったときでも全社を挙げて前日から対策会議を開いたり、何か起こった際には全員で協力し、問題を解決したり、プロフェッショナル意識が強い会社だと思います。やっぱり他の鉄道会社が運休するような異常気象時であっても動いているというのは鉄道事業者として誇らしいですよね。

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※記事内の職名・駅名は取材日時点